悪魔の兵器―核の廃絶を! <羽曳野革新懇総会>
4月20日(日)にリックはびきのにて定期総会を52名の参加で開催しました。昨年、被団協がノーベル平和賞の受賞を機に、核兵器廃絶が世界の大きな流れになっています。総会では、寝屋川原爆被害者の会会長の山川美英さんに「私の被爆体験と思いを語る」と題して記念講演をしていただきました。
講演では、体験として、幼児期に広島で被爆し、中学生になって母親から被爆したことをしらされた事。母親からは被災の状況を「生きて地獄を見た」と伝えられ、その後、差別と偏見に苦しめられ、死をも覚悟した事。自らの結婚に際しての思いを語りました。
また、日本政府は、原爆被害者には治療を行わず人体実験として扱ったこと。被爆者への分断を強いる政策をとり、安全神話の名のもと、放射線被害を小さく見せる態度をとってきたこと、被爆者に一度も謝罪を行っていない事を告発し、放射線被害は死ぬまで続く、戦争は国が起こしたとして被害の国家賠償を求めていると述べました。また、「人として生きることも、人として死ぬことも許さない」悪魔の兵器―核の廃絶を、核兵器禁止署名を広げようと力強く訴えました。被団協代表委員の田中さん(92歳)の活動を称え、「私はまだ84歳、田中さんに比べれば、まだまだ若い」とし、日本国憲法の理念が実施できる政府を作るために、ともに頑張りたいと締めくくりました。
総会では、昨年の羽曳野革新懇運動の経過と今後の運動方針を報告提案し、特に万博問題では、事故があってからでは遅すぎる、引き続き中止を求めていこうと訴えました。その後、会計報告・監査報告を行い、世話人の提案・承認を行いました。
政府は空襲被害者にも補償せよ!
-富田林革新懇が共催で学習・映画上映会-
4月19日、富田林9条の会主催、富田林革新懇共催で、トンパルで大阪空襲訴訟の運動を続けている安野輝子さんの戦争体験の話と映画会=「夏服の少女たち」(NHK制作放送)を開催し40名が参加しました。
鹿児島県薩摩川内市で生まれた安野さんは、1945月年6歳の時、空襲で片足を失い、家も奪われました。小学校は家に近く、竹で作ってもらった松葉杖で通えましたが、中学校は遠くて行くことが出きませんでした。自由に動けず家族の支え無しには生活が不自由でした。就職したくても出来ませんでした。母が作ってくれた義足で洋裁学校に通い、やっと洋裁の仕事で生きる職を手につけました。1975年、杉山千佐子さんが戦災傷害者連絡会を作りました。安野さんは、国に謝罪と補償を求める活動していることを知り、原告となり2008年大阪空襲訴訟」を起こしました。軍人・軍属には国家補償がされているのに、空襲で傷害を負った被災者には「受忍論」を押しつける国のあり方に問題提起をしています。安野さんは、戦後、戦災傷害者には謝罪も補償もしてこなかった日本政府と、戦争で大怪我をしても国家は何もしてくれないことを知ってほしいと語りました。そして、だから戦争は二度とおこしてはならないと強調しました。