「生業返せ!」福島原発訴訟原告団が訴え
この苦しみを誰にも会わせたくない
6月16日、第247回「ゲンパツいややん」金曜日行動が京阪寝屋川市駅前で行われ20名が参加しました。「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(4千人)原告団長中島孝さんら4名が参加され、福島県の生々しい現状と今年10月に判決をむかえる裁判の訴えが行われました。
中島孝団長は「政府は阪神淡路大震災の後、専門家会議を設置し三陸沖地震を警告し原発の安全対策を提起していたのに、地震がいつ起こるかわからないと国も東電も対策を取らなかった。福島では次々と避難解除がすすめられ、賠償を打ち切ろうとしている、6年も人が住まず除染できない里山は高放射能、こんなところに子どもが帰れるでしょうか。福島での困難や苦しみを他の誰にも会わせたくない、大阪の皆さんに実情を伝えつつ、生命と暮らしをつぶす政府にきっぱりと声を上げていきましょう」と訴えられました。
全住民が避難した川俣町出身の遠藤正芳さんは「関西で勤務し定年で故郷に帰った3ヶ月後に原発事故に遭遇、6年3ヶ月たったが8万人が自宅に帰れない。避難解除されたものの除染物を詰めた黒いプレコンパック75万袋が至る所に置いてある、除染しても放射能は消えない。学校は合併して小中一貫校に、店舗は2つ、医療機関は週2回診療、住宅は6年放置で建て替えが必要、お金がないのと東京オリンピックで業者はいない。理不尽な政治、まちがった政治を変えなければ、原発政策も変わらない」と深刻な実態を訴えました。
相馬市出身の阿部一枝さんは「原発が爆発して、スーパーもコンビニも閉店、飲まず食わずの生活が2週間、今も相馬で暮らしていますが今でも不安です。二度と地獄のような放射能の怖さを味わいたくないです。国と東電の責任をはっきりさせ、責任を取ってもらいたい。それが私たち被害者の責任です、原発は再稼動させてはならない、これからもがんばります」と決意を述べられました。
福島からの悲痛な訴えに、大阪も寝屋川も人ごとではありません、ふくしまの方々の無念の思いを我が事として、声を上げましょうと訴え。「ゲンパツ反対・再稼動反対・福島守ろう」を全員でコールしました。署名が22人集まり、カンパも寄せられました。